また山の本か!
そうです、前回のトムラウシきっかけでかなりの山関連蔵書を読みましたが、「空と山のあいだ―岩木山遭難・大館鳳鳴高生の五日間」はページを捲る手を止められず、もっと若ければ夜ふかしして一気読みでした。
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図書館では書庫だったんですが、アカンやろ。
開架に戻してください。
開架に戻してください。
わたしが読んだのはハードカバーで、最後に開高健賞の評集が綴じられていたんです。
それで初めて受賞作だと知りました、筆力があったはずです。
それで初めて受賞作だと知りました、筆力があったはずです。
第8回(1999年)開高健賞(かいこうたけししょう)を受賞しています。
●「その後」に多くのページが割かれているレア作品
本が発行されたのは1999年、岩木山遭難は昭和39年1月、1964年です。
当時の報道写真や遭難の行程
30年以上も経って発行されたのですが、そのおかげで唯一の生還者のその後や関係者のその後、亡くなった高校生のご遺族の声など、とても丁寧に集められています。
いくつも山岳遭難ものを読みましたが、これほどたくさんの「その後」がわかるのってすごいと思いました。とても珍しいです。
他の事例では電話取材すら叶わないことも多いのに。
文章が極限まで練られてグイグイ読ませていく構成力と筆力、決してウェットではないけれど、ご遺族の心情や当事者を傷つけない筆者の目線は、どれほどの時間をかけて書かれたものなのかと思いました。
それと、トムラウシ山遭難事故で低体温症について知識を深めていたので、高校生の遭難がどんなふうだったのか想像がつきました
低体温症の症状が一番顕著だったのが、最後に見つかった乳井くんの遺体で、笹の葉が靴に入っていたという描写に付随して現地の方がこのへんでは凍死はよくあることだ、凍死者は下着一枚など裸に近い格好で亡くなることが多く、狐の風呂桶に入った(この表現、うろ覚え)と言われているんですが、それは正しく低体温症の症状です。
●山とともに生き、死ぬ
それにしても昭和39年の装備には驚きます。
捜索に際しゴム長と半纏で頂上まで登っている!!
季節が良ければ小学六年生でもうっかり頂上まで登れてしまったとはいえ、雪山なのに……
2001年にBSでドラマが放送されていて、
ノンフィクションドラマ 遭難|番組|NHKアーカイブス
https:/
5分の動画でも装備など伝わってきます。
こういう番組自体、久しく制作されていないと思いませんか。
開高健賞の審査員が、いまは携帯電話やGPSもありこのような悲しい事故が減ることを祈るみたいなコメントを寄せていたのですが、残念ながら減るどころか、山岳事故は増えています。
山岳部員の高校生は天気図を書くことができたけれど、いまは書けない高齢者でも山に入れてしまう。
優れたツールがあれど、使うのは結局「人」でしかないのです。
開高健賞の審査員が、いまは携帯電話やGPSもありこのような悲しい事故が減ることを祈るみたいなコメントを寄せていたのですが、残念ながら減るどころか、山岳事故は増えています。
山岳部員の高校生は天気図を書くことができたけれど、いまは書けない高齢者でも山に入れてしまう。
優れたツールがあれど、使うのは結局「人」でしかないのです。
山岳書籍を読んでいると、学校行事としての山行が行われていて驚きました。
大阪生まれ大阪育ちには、そのような行事は昭和で終わっていたというイメージなんですが、高校生のインターハイにも「山岳競技」があります。
山岳部の様子
天気図や山で生きていく生活技術を学ぶというのは納得行くのですが、「行動」を点数化するのってどうなんだろう。それは他者と競うことなんだろうか。
この競技の成績が行動心理に影響したのでは、という近年の高校生遭難事故を読んで思いました。