Eテレの「100分deパンデミック論」で紹介されていた本の中で、一番興味を持ちノーベル文学賞をとったのなら間違いなく図書館にあるだろうと、すぐ予約しました。
番組内で紹介された他の本については、こちら公式じゃないけれど、概要がわかるので。
100分de名著 100分deパンデミック論 | 日々是本日
https://ameblo.jp/bookudakoji/entry-12720460464.html
読んだのは「新装版」ですが、廉価な文庫版もあります。
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読んだのは「新装版」ですが、廉価な文庫版もあります。
●今と重なりすぎて
カミュの「ペスト」では描かれなかった、感染した側の視線でパンデミックを描いた作品だと紹介されていたのです。
「白の闇」というタイトルからなんとなく伝わりますが、ある日突然目が見えなくなる伝染病にかかった世界の話です。
いわゆる失明は「黒い世界」ですが、これは「ミルク色の沼」のような白い闇に覆われます。
最初に車を運転していた男性が「見えなく」なり、当然運転ができなくなります。それを助けて家まで運転代行してくれた親切な男性がいるのですが、彼は送り届けてから車を盗むのです。失明した気の毒な男性の車を、ですよ。
突然の失明に車が盗まれたショックも重なり、這々の体で奥さんと一緒に眼科医に行きますが、どこにも異常はありません。むしろ異常がある方が救いと思えてきます。
そして、診察した眼科医が失明し、待合室にいた他の患者も失明し、順々に感染が広がっていく様子はまさにパンデミック。
政府は、閉鎖した精神病院に患者を閉じ込めます。2つに分かれている建物に、一つは失明した患者、もう一つには感染疑いのある人を収容することになります。いわゆる濃厚接触者……
眼科医が収容施設に連れて行かれる際、妻は「自分も失明した」と嘘をついて同行します。
目が見えない集団の中で一人「目が見える」存在である妻。
収容所となった精神病院にはケアする人もなく、軍によって放り込まれる食料を分ける手段もないのです。だって見えないから数も数えられないし、「わたしはひとり」というのを証明する手段もありません。
患者はどんどん増えますが、食料はその数の分配給されません。
どうなるかというと、ならず者が食料をぶんどります。
北斗の拳 拳王軍ザコたちの挽歌 1巻 (ゼノンコミックス)
「北斗の拳」の「ヒャッハー!(モヒカン)」を連想しました。
彼らは食料が欲しいのならば金品を要求し、次に女をよこせといい出します。
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」になった。
映画と違って「白の闇」は、衛生的にも劣悪です。
知らない建物のトイレまで行き着けず、辛抱できず、その場で用を足すことになり足元は糞尿だらけ。浴室もないし洗濯も出来ないから、貧民窟のような環境なのです。
こんな環境の中、目の見えない集団が何を行うのか。
「見えない」「見られない」ことが人をどう変えていくのか。
そしてただ一人目が見えている「医者の妻」、先が気になりすぎて読みたい気持ちは高まるのですが、なんせ醜悪な行いに胸が詰まって読む気力を削がれます。
問題のシーン、P182~183
なんだか不思議なのですが、でもわたしたちの日常ってそんなわかりやすく「かっこつき」のセリフではなく、思考と地続きです。特に口から言葉を発するのではなく、SNSが台頭している今だとそう感じます。
思考が流れ込んでくるような文章かつ、個人名が一切ありません。だから、自分が考えているように思えてきて、話の中に入り込んでいるしんどさもあるのです。客観の立場でいられないキツさも、読み進められなくなる一因でした。
最後まで読んでから最初を読み返したところ、うわっとなりました。
色の洪水なんです。
作者は、色の表現たっぷりで物語をスタートしていました。
読み進めていくうちに色の表現が失われていたことに、わたしは全く気がついていなかったです。
そして「目が見えるひと」が作り上げた「目が見えるひと」のための、この幽き世界よ……
小説の着想は、著者がレストランで食事をしていて「もし我々全員失明したらどうなる?」という問いが浮かんだのがきっかけだそうです。そして「だけど、我々は実際にはみんな盲目じゃないか!」とも考えた。
知性と示唆に富んだこのエピソードだけでも、しびれます。
読んでしばらく、何もしたくないほど物語の世界に持っていかれていました。
そして、これまで受賞のニュースを流し見していたけれど、ノーベル文学賞ってすごいなと初めて思いました。なんとなく「読んだあとスカッとしなさそう」な作品が選ばれているイメージでしたが、確かにそうだったけれど読むんじゃなかったという作品ではないです。
多分私達は「見えていない」ことに気が付きたくないんでしょうね。
映画「ブラインドネス」というタイトルで映像化されています。でも鼻が曲がりそうな世界は再現してないように見受けます。
「白の闇」というタイトルからなんとなく伝わりますが、ある日突然目が見えなくなる伝染病にかかった世界の話です。
いわゆる失明は「黒い世界」ですが、これは「ミルク色の沼」のような白い闇に覆われます。
最初に車を運転していた男性が「見えなく」なり、当然運転ができなくなります。それを助けて家まで運転代行してくれた親切な男性がいるのですが、彼は送り届けてから車を盗むのです。失明した気の毒な男性の車を、ですよ。
突然の失明に車が盗まれたショックも重なり、這々の体で奥さんと一緒に眼科医に行きますが、どこにも異常はありません。むしろ異常がある方が救いと思えてきます。
そして、診察した眼科医が失明し、待合室にいた他の患者も失明し、順々に感染が広がっていく様子はまさにパンデミック。
政府は、閉鎖した精神病院に患者を閉じ込めます。2つに分かれている建物に、一つは失明した患者、もう一つには感染疑いのある人を収容することになります。いわゆる濃厚接触者……
●ヒーローはいない
眼科医が収容施設に連れて行かれる際、妻は「自分も失明した」と嘘をついて同行します。
目が見えない集団の中で一人「目が見える」存在である妻。
収容所となった精神病院にはケアする人もなく、軍によって放り込まれる食料を分ける手段もないのです。だって見えないから数も数えられないし、「わたしはひとり」というのを証明する手段もありません。
患者はどんどん増えますが、食料はその数の分配給されません。
どうなるかというと、ならず者が食料をぶんどります。
北斗の拳 拳王軍ザコたちの挽歌 1巻 (ゼノンコミックス)
「北斗の拳」の「ヒャッハー!(モヒカン)」を連想しました。
彼らは食料が欲しいのならば金品を要求し、次に女をよこせといい出します。
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」になった。
映画と違って「白の闇」は、衛生的にも劣悪です。
知らない建物のトイレまで行き着けず、辛抱できず、その場で用を足すことになり足元は糞尿だらけ。浴室もないし洗濯も出来ないから、貧民窟のような環境なのです。
こんな環境の中、目の見えない集団が何を行うのか。
「見えない」「見られない」ことが人をどう変えていくのか。
そしてただ一人目が見えている「医者の妻」、先が気になりすぎて読みたい気持ちは高まるのですが、なんせ醜悪な行いに胸が詰まって読む気力を削がれます。
問題のシーン、P182~183
ジョゼ・サラマーゴの文体はすごく特徴があり、地の文に会話も全て書かれているので、「かっこ」がないです。?もごく少ない。
女をよこせと言われて喧々諤々となっているのに、カッコ全く無し。なんだか不思議なのですが、でもわたしたちの日常ってそんなわかりやすく「かっこつき」のセリフではなく、思考と地続きです。特に口から言葉を発するのではなく、SNSが台頭している今だとそう感じます。
思考が流れ込んでくるような文章かつ、個人名が一切ありません。だから、自分が考えているように思えてきて、話の中に入り込んでいるしんどさもあるのです。客観の立場でいられないキツさも、読み進められなくなる一因でした。
●見えていますか?
最後まで読んでから最初を読み返したところ、うわっとなりました。
色の洪水なんです。
作者は、色の表現たっぷりで物語をスタートしていました。
読み進めていくうちに色の表現が失われていたことに、わたしは全く気がついていなかったです。
そして「目が見えるひと」が作り上げた「目が見えるひと」のための、この幽き世界よ……
小説の着想は、著者がレストランで食事をしていて「もし我々全員失明したらどうなる?」という問いが浮かんだのがきっかけだそうです。そして「だけど、我々は実際にはみんな盲目じゃないか!」とも考えた。
知性と示唆に富んだこのエピソードだけでも、しびれます。
読んでしばらく、何もしたくないほど物語の世界に持っていかれていました。
そして、これまで受賞のニュースを流し見していたけれど、ノーベル文学賞ってすごいなと初めて思いました。なんとなく「読んだあとスカッとしなさそう」な作品が選ばれているイメージでしたが、確かにそうだったけれど読むんじゃなかったという作品ではないです。
多分私達は「見えていない」ことに気が付きたくないんでしょうね。
映画「ブラインドネス」というタイトルで映像化されています。でも鼻が曲がりそうな世界は再現してないように見受けます。
おまけで「マッドマックス 怒りのデス・ロード」は、BSプレミアムで2月7日(月)午後9時00分〜11時00分放映されます。