界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」
ちっちゃいフォントのサブタイまで含むと、こう。

Amazonの「商品の説明」にある「そのように考える具体的な理由はなんなのでしょうか?」の回答は出されています。
ただ、編集とか担当者は仕事しなかったのだろうか。
文体は統一されていない上に、出てくる単語が分かりづらい。

たとえば「サイエンス」。
Scienceって科学っていう意味です。
この著作で意味するのは、「計算」や「成果」かな。
「経営におけるアートとサイエンス」
と銘打って、美術と科学?って思われちゃうのは、著者の意図したこととずれてしまう。

「アート」「クラフト」も同様に、わたしは美術を囓っているもんだからアーツ・アンド・クラフツ運動を連想してしまいます。
アーツ・アンド・クラフツ運動 | 現代美術用語辞典ver.2.0
「根本的には、手工芸の復興を目指す運動で、さらには、人間と事物との全体的な調和を図る社会運動。」
なんでクラフトを「技術」と表記しなかったのか。

カタカナや英語の略語など新聞にも載らない用語がたくさん出てくるため3語に揃えたのかも知れないですが、著者の文体が乱れているのに重ねて読みづらく逆効果だと感じました。
でも、「空飛ぶタイヤ」のように自社にとって不都合なことを、企業ぐるみで何十年も隠蔽した根本はなにか。
その理由として美意識を出してきたのは、面白いと思いました。

2012年の過去ログに、「教養」ブームが来たと残していたんです。
「教養」は編集が意図したほど定着せず、その次の段階でいまの「美意識」ブームという流れが見えます。

P166「「偏差値は高いが美意識は低い」という人たち」の例として、オウム真理教を挙げてきたところが一番印象に残っています。
偏差値は高いが美意識は低いという日本のエリート組織が抱えやすい「闇」が顕著化したらこうなるというのが、とてもわかりやすい。
決して極端な例ではないと思いました。
ここで引用されている「善悪の彼岸へ」


の方を読みたくなりました。

●美術とデザイン

美術とデザインの違いは、個人によって解釈が違ってきますが、わたしはこう。

デザインは問題解決の手段。理由があって存在するもの。
美は感覚、感情。だから説明ができない。


ダイソーにあるものは、ただデザインに特化している問題解決のみのアイテム。
でも、ハンズに行くと問題解決+洗練されたものがある。

どっちに行くとわくわくするのか。
ハンズだと思います。
「問題解決」だけだと、感情に響かない。便利だなーというのは感情ではなく感想です。
美という感覚が加味されて、「嬉しい」「楽しい」という感情に響く。
このデザインと美の違いが、著作では混同されていると感じました。

一度目はガッツで読めても二度目は意味が混同してくるので、大変に読みづらかったです。
新書は本来手に取り易い、専門知識でも平易でわかりやすいという、大きな目標があるはず。
著者の美意識が文体から窺えないと揶揄したレビューがつくのも、致し方ないです。

画家や作家の友人がいますが、彼ら彼女たちの説明ってわかりやすいです。
興味のない人にどう伝えればいいのか。
美意識の高い、技術もある人たちはそこのところも特化しています。
現在だと美意識のない企業は、ZOZOですかね。

●美意識のある組織とは


ない例はたくさんあれど、じゃあ美意識がある組織は?
著作ではマツダを例に挙げていましたが、車に興味ないので全くピンと来なくて。
わたしだったら「パンと日用品の店わざわざ」を挙げます。

山の上のパン屋に人が集まるわけ|平田 はる香|note
これを踏まえてNHKで放送された反響編として、

来ないでください。|平田 はる香|note

美意識のある組織や活動って、応援したくなります。
「サポートする」ってボタンがなくても、応援したくなる。
わたしの基準はそこです。

著作自体は、自分にとって美とはなにか、を再考するきっかけになりました。

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