阪からケーブル高野山駅までが前回

まずは、奥の院口! 
一の橋
この一の橋からスタートして、「御廟(ごびょう)」まで1.9km、参道は整備されていて歩きやすいですが、なにかと湿っているのでツルツルします。
橋の名称があるとおり、山中は水脈が多いです。
 
杉の木は、右に軽くねじれているものがあったぐらいで大体はまっすぐ。
戸隠の杉のねじれっぷりは突出していたな。(ここに杉の写真あります
奥の院参道
参道墓石MAP。ものすごくたくさんあって、とても追い切れません。

■高野山 奥之院 かなり完璧ガイド
http://digitaldna.jp/travel/okunoin.html

こういったサイトで事前に予習していても、現地で見つけられないお墓もあります。
お目当てのお墓がある場合は、「高野山奥の院の墓碑をたずねて」(100円で宿坊で売られているらしい)のような書面持参必須。
わたしのように手ぶらでいっても、主としたお墓は網羅できます。
以下写真はないので、墓碑が見たい方は上記ガイドURLへ。

圧巻は五輪の石塔です。 マンションの2階分かな、見上げるほど。
五輪の石塔ってこんな巨大に作るモノでしたっけ? 
とくに大名家のものは家の力を表わすこともあり、ひときわ大きいです。
石材の運搬や加工を考えると、当時のメイキング資料が見たい。

また、宗旨宗派を問わないこと、神仏混合の鳥居がついた墓所も多いのも特徴。
いずれも苔むしていて、いくら手入れがされていようとも環境的に難しいのが窺えます。常に湿っていますから。
中には樹木の根によって崩れている墓所もあり、ああ、建立時は樹木がなかった、低かったんだなというのが見て取れます。

お盆時期のため、お墓のお手入れとお詣りをされている家族連れをたくさん見ました。お坊さんと同行されている方も。
参道に面しているお墓は『建立時おいくら万円したんやろ…』と思わずにおれません。
意外と参道から中の方にもお墓があるので、お詣りのしやすさでいうと断然参道に面している方が楽な分、高いでしょう。
大名家の時代から下ると次は災害や戦災慰霊碑の数がぐんと増えます。企業の慰霊碑は新しい動きなんだな。

ガイドマップや音声ガイドもあるほどなので、一般的な墓所よりもかなり開けた場所です。
ですが脳天気なJPOPが流れてきたのには驚きました。
音源どこだ!? と見回すと、向こうからやって来た母娘連れの娘さんが、わたしの目線に気がついてスマホのスピーカーを切る仕草。
いくら何でも行儀悪いでしょう。
観光地で行儀が悪いのは、何度でもいう、日本人です。

織田信長・筒井順慶墓所は参道からちょっと上がったところにあります。
案内があるのでわかりやすい。
お骨がないとわかっていても行ってみたら、どの墓よりもたくさんお賽銭が置かれていました。
近くに豊臣家墓所もあるんですが、秀吉のお墓は1940年に立てられた新しいもの。
参道にあるお墓の大半は、本人が知らん間に作られたものかもね。
お墓ってそもそもそういうものか。

御廟橋に着きました。ここからは脱帽、写真撮影も禁止、弘法大師の住まう域です。
次回、弘法大師御廟ともうひとつの高野山ミッションについて


キエール コケ・カビ 400ml

こんなんでは追いつかないくらい、苔。