幅にカットしてmixiからこちらに持ってきたのですが、案の定長い。
カップル診断の前に、わたしの個性分析で推移比較とは違う見方をした項目を挙げます。

前段
①わたしの個性分析 <2013年> 
②わたしとCちゃんの個性分析比較 
③わたしの個性分析 <2013年→2016年推移> 前編
④わたしの個性分析 <2013年→2016年推移> 後編 
わたしの個性分析 自覚していない個性と、課題 ←いまここ
⑥Cちゃん夫婦の個性分析 <独身→新婚→現在>

●社交的な引きこもり


「NAZさんの場合、ちょっとややこしいのはここですねー」
引きこもり
会話性マックスに対し、交流性が低いところ。

「興味の幅が広くてどんな話題にも返せるし、話も出来るから社交的に思われるのに交流性が低いので、思っていたよりも引きこもる人。だから、この人社交的だわーと思う人には、アレ?ってなりますね」

すごい。
石岡さんはわたしのブログを読んでいないのに、ずばり“社交的な引きこもり”を分析されています。
社交的な引きこもりについては、過去日記に詳しく書いています。
「あるときネットで「社交的な引きこもり」というワードを見かけたとき、そうそうこれわたしもおんなじー! 」
ここに書いている【あるとき】はたぶん2014年です。
2013年のわたしは猫かぶっていたのが、ここで認識したことによりそう振る舞うようになって2016年はよりいっそう「引きこもり」が明らかになったんでしょう。

といっても別に、友達と会ってて突然「帰る」とか、誘われても全く『是』といわないとか、社交性ゼロという意味ではないです。たんに、「行っておこうかな」という程度の動機で出かけていたことを、止めたんです。
「行きたいー!」なら行く、「行っておこうかな」なら行かないというのを採用しただけ。

でも驚いたのは、この社交的な引きこもり面は生年月日による鑑定や分析ではまず出てきません。しかし、個性分析ではさくっと現れたこと。
そして実は、この性質を指摘した人がいたことを思い出したのです。
2009年GWに東京であった、三泊四日のチャック・スペザーノ来日セミナーで、三日目かな、【グループメンバーから見たわたし】を一言で言い合う場にて。
当時のノートがあるので書き出します。

・怒る
・ちゃんとしている
・わかってくれない
・尺度からはみ出しているとダメ!!
・正しい、白黒
・敏感
・時々引きこもり
・体の具合が悪くなる

当時はバリバリOLでした。ああ、キーキーしているのが目に浮かぶ。
こういった、「初対面の相手の印象を言い合う」ワークってよくあります。
指摘されたことのいくつかは度々言われたことがあります。しかし 「時々引きこもり」と「体の具合が悪くなる」というのは、この時初めて指摘されたことです。

期間中、自由時間にグループメンバーと過ごさず一人で過ごすことがありました。
でもそんなことは他の人もしていたので、たぶん、表面的にわかりやすい部分で引きこもりと書いたんじゃないと思います。短時間のセミナーではまず指摘されない引きこもり体質。
グループは、わたしを除いて来日セミナーに何度も参加している猛者ばかりでした。
トレーナーも何人かいたため、だから指摘されたんかなあ。
引きこもり
人間観察のプロに何日かかけて読まれた性格が、個性分析にはあっさり出ていたことに唖然としました。

2016年は引きこもりを自覚し自分で尊重したことによって、交流性が低くなった。それが本来の自分だったというわけです。
「この人引きこもりやのに、しゃべりやな」
という、引きこもりの方を重きに見ていただく方がわかりやすい気がしますが、まあそうはいかんよね。
しゃべりの方が目に見えてわかるから。

うまれ持った自分を知る生年月日基準の診断と、後天的影響で作られる自分と、どっちもうまく活用したらこの社会に属することも違って見えてくると思います。
生年月日の「自分らしさ」にこだわると、まじめな人はそこと乖離している部分が課題になって、「らしさ」探しに奔走してしまうんです。これは時間がもったいない。

有限な時間をどう使うのか、個性分析には“課題”も見えます。
課題の詳細は省きますが、指摘されて「うわ、それあります」と、どきっとしました。
課題の部分が目に見えてわかること、そしてどう改善したらいいのか。
個性分析は“断言”ではなく、“前向き”なところが好きなんです。

さ、次は個人分析からカップル分析です。