「体も心もそれほど強くない著者が、古今東西百以上の健康法を試しているうちに、気付いたら「健康そうですね」と言われるように。
人生を変えられたのはなぜなのか?
信頼できる身体のプロフェッショナルたちとの対話を通じ、健康の正体と極意を探る。
命の輝きを実感し、心身から底力がわきあがり、生きることに不自由を感じなくなる一冊。」

先輩からお薦めされていた一冊です。 表紙デザインが素敵。
お薦めされたとき、『よしもとばななか』と怯みました。
普段読まないタイプの作家です。
図書館で探してみますと返信しつつ、ずっと忘れていて、たまたま書架をぶらついていたときこのタイトルが眼に入り、
『あ、これか』と借りてみました。

4人の代替療法家って表現していいのかな、(チネイザン、ホメオパス、セラピスト、ロルファー)とよしもとばななの対談集です。
後半はお友達の「るな」さんの乳がんからスタートする闘病日記で、段組もフォントもがらっと変わります。
この日記には、闘病日記のネタバレがあるので、知りたくない方はUターンして下さい。

まえがきに「わたしは半分死んだように暮らしていた」とあり、ああわかるとなりました。
わたしもいつの頃からか、そしていまでも半分死んだような感覚があるからです。
リアルのわたしを知る人は、
「あんだけしゃべってて!?」
「あんだけ出歩いているのに!?」
「あんだけパソコンいじっているのに!?」
と思うでしょうけど、そことは全く別なのです。

うまく表現できませんが、状態と態度の違いかな。
たぶん、ずっと「Q」を出し続けている人はわたしに限らずこんな感覚を持っているのではないでしょうか。

四人の対談の中でいちばんぐっと来たのは、最初のTaoZen大内雅弘氏との対談です。この方
健康についての考え方は、この方との対談で十分かと。
しかし、わたしは瞑想は眠くなるばっかりだから向いてないわ~

後半のるなさんの闘病記は、途中で最後のページを確認しました。
このまま読んでて亡くなっていたら辛すぎるから。
書籍に載っている段階では亡くなっていなくて、安心して読み進めたものの、圧巻です。
バリバリの現代ガン治療法の羅列に、くらくらしてきました。
こんな治療法があるんだという驚きと、その壮絶さ。
『自分がガンになったら…』ということを、否が応でも考えます。
また、身近な人がかかったときのことも。

るなさんはその後亡くなられています。
サイトの日記に書かれていました。
http://www.yoshimotobanana.com/diary/2012/10/

後書きを整体師 片山洋次郎先生が書かれていて、おまけとして代替療法の選び方の基準が示されています。

①相性(人的相性、メソッドとの相性)
②タイミング(いつ出会うか)(待つことタイミングを測ることあるいは何もしないこともプラクティショナー、セラピストの技量の内ともいえる)
③クオリティ(技術の高さ、経験)

「技術よりも相性やタイミングの方が時として重要なファクターになるところがブラックボックスですが、好きな絵や音楽と同じように考えたらわかりやすいかもしれません。」
「要するに体感してみるのが一番ということですね。」

ちょっと思うところがあり過去日記を読み返していたら、2009年の日記に自分の感覚についてもっと自信を持っていいというアドバイスを受けたとありました。
あれから5年、わたしもずいぶん変わったなと実感します。

一巡して戻ってくる

さて、最初によしもとばななに対して怯んだとあるのですが、この印象はどこから来たのか記憶を手繰り寄せてみました。
ずっと初期の著作を当時の友達から何冊か借りて読んでいます。
が、読後感がどうもすっきりした印象がありません。
なんだか元気が出ない読後感といいますか。
特に「マリカの永い夜;バリ夢日記」は、内容全然覚えていないのにいいイメージがなく、そういえばわたしがバリのようなリゾート地にいいイメージを持っていないのってこの本がきっかけだったんだと思い出しました。

この手の著作ならば、遠藤周作の方が読後感がよく、著者にいい意味で引き寄せられます。
よしもとばななの著作には、わたしの内部に重なる部分が多くしんどくなり、だから読後に元気が出ないのでしょう。
読んでから「健康ってめんどくさいわ…」と思いました。
一巡して戻ってくるまでがめんどくさく、本来は単純なのでしょうね。

色違い装丁で姉妹本の「Q人生って?」も図書館にありましたが、パス。
こちらの方が先に出ています。