正月から日が経ったある日、お友達から手紙が来ました。
宛先の住所は番地に抜けがあり、宛名文字も乱れていて、何かあったのだとすぐわかりました。
そもそもこのお友達から年賀状が届かなかったので、前兆はありました。
昨年の11月に連絡を取ったとき、お父さんの具合が良くなくて入院していたことを聞いていたので、まさかと思っていたのです。

そのまさか、訃報でした。
彼女はいっこ年上。
この5年の間にご両親を病気であっという間に亡くされ、言葉がないです。
電話といわず今すぐそばにいって手を握りたいと思いましたが、こちらはよくても向こうの都合もあるわけで。
お子様もいるし、日常にてんやわんやなのもわかります。
そんな中でも手紙をくれた気持ちが痛ましく、また、だからこそなにか心を寄せたい。

そうだ手紙を書こう。
はっ、わたし、慶事の手紙を書いたことはあれど、お悔やみの手紙なんて一度も経験がない!
それに、近しい身内が亡くなったこともなく、一体なにをどう書けばいいのか…

そんなとき、昨年10月にhontoから500円のクーポンが届いて、なんとなく買った一冊の本の存在を思い出したのです。
 (当時の日記はこちら。ポイント制についてぶーぶーゆってます)

「いまこの時のために!」
買ったとしか思えないその本は、遠藤周作氏の
「十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい。」


人を食ったようなタイトルのこれは、手紙の書き方の本なんです。
手紙だけでなく、文章の書き方でもある。

文庫本の発売は2009年ですが、そもそもの原稿は昭和35年、著者が入院中に書かれたもので、没後10年経ってから原稿が見つかり発行されたという経緯があります。
http://book.asahi.com/news/TKY200608040485.html

読み始めると、10ページで飽きるどころではありません。
ラブレターの書き方、デートの誘い方といった明るいものから、お見舞いやお悔やみ、お断りの書き方など、その辺の「手紙の書き方」本にはない、気持ちを込めた文章の書き方が丁寧に、実例をふんだんに盛り込んで紹介されているのです。
この実例がまた、古さを感じさせません。
それどころか、言葉遣いがとても美しくて、なんかもう頭を丸めたくなりました、わたし。
目の前で著者がニコニコと語りかけているような文体で、さくさく読めます。

1960年頃といえば、50年前。
いまの言葉にこのような美しさを感じることができないし、ここにあるような言葉をしゃべれる人も、ぐっと減っています。
最初に読んだときは、50年で失われたものに寂寥感がいっぱいになりました。

そしてまさに、お悔やみの手紙の書き方が役に立ったのです。
我ながらよく書けたというのも変ですが、普段からレターセットを常備しておいてよかった。

お悔やみの手紙について、氏は
「一回出してからもう終わったと思わず、一ヶ月二ヶ月経ってもう一度、
ハガキ一本でよいから相手のその後の気持ちを案じた手紙を送るとよい」

「一寸したことですが、こうした小さな心遣いが
相手の心にはしみじみと響くものなのです」
と締めています。
慶事については備えることができるし、若年のうちから度々接する回数もあります。
しかし弔事は突然です。
備えることも出来ないし、いざその時の手札の心許なさに対し焦燥感は比例して、気ばかり焦ります。
自分自身の体験も少ないなか、こういった先人の言葉はとても参考になりました。

それにしても新潮文庫は、頼りになります。
わたしの書架でなんやかんやと残っているのは、新潮文庫ばかり。
文庫本の中でフォントと紙の厚み、文字組みがいちばん好きなのは新潮です。
講談社文庫はフォントサイズが大きすぎで、文字組みもちょっと端まで詰めすぎだし、紙の白さが苦手。
文字の透け方も好みじゃない。
集英社文庫もフォントがちゃらいのと、文字組みが好きじゃない。
紙の色はちょっと新潮社寄りだけど、「ページ」というより「紙」っぽさの方が強く感じるので、パス。

こんなこだわりがあるから、わたしは電子書籍に移行できない…
ある時マンガを全巻20巻ぐらいまとめて電子書籍で読んだことがありますが、めんどくさくて一度しか読めず、内容もほとんど記憶に残っていない体たらく。
わたしにとって読書は、視覚だけでなく触覚も大事な要素です。

他に遠藤周作著作についての関連日記は、タグ「遠藤周作」から行けます。