久しぶりの遠藤周作です。
図書館のフロアをぷらぷらした時目につきました。
こういう巡り合わせで手にする本は、たいてい当たり。
案の定、ページが付箋だらけです!
これすごいいい本なのに、絶版。
内容紹介
「愛とはピッタリ合わぬ男女が、それでも手を離さぬ努力である」
「情熱というのは安定すれば消えるもので、不安や苦悩があれば燃える」
「嫉妬というのは一種の熱病です。たとえば嫉妬にかられた人をごらんなさい。
その人にとってはすべてのものがその嫉妬の理由になるのです」
「女は自分が囁かれた愛の言葉や愛の思い出の分だけ、相手に執着する」──
慈愛に満ちたまなざしと鋭い人間観察力にあふれた狐狸庵先生・珠玉の箴言集。
つまり、遠藤周作の著作から、含蓄のあるフレーズを抜粋した書籍です。
タイトルがもうほんとに、そのまんまを表しています。
遠藤周作の作品って、キリスト教の関係か愛や神に関することが多いのですが、それが堪らなく温かいまなざしを感じさせます。
年老いた遠藤周作が、いたずらっぽい茶目っ気を含んだ笑みを浮かべて話している気がする。
わたしはこういった著作で、作者の視線があたたかいって感じたことがとんとありません。
わたしが年とって内面が変わったからなのかしら。
付箋だらけのページから、選りすぐりを抜粋します。
ものの場合だと、愛着ですね。
子供の頃大好きだったぬいぐるみを、汚れてもぼろぼろになっても棄てられない心の正体。
役に立たないから、年老いたから、醜くなったからと表面的な事象だけで次々新しいものに乗り換える世間への諫言かな。
類する言葉として他に、
わたしが特にハッとしたのは、これ。
どういう文脈なのかはわかりませんが、わたしはこれを「相手を変えようとする傲慢さ」ととりました。
自分の考え(それが社会的に正当であろうとなかろうと)に相手を沿わせようとする行為の、強烈な反発。
いまの世の中は特に正義を声高に振りかざす人が多いのですが(幼稚なピュアさだと言われています)、相手がそれをどう感じるかという部分の想像力は欠落していて、なるほど幼稚と言われても仕方がないなと思います。
批評について淀川長治さんとの対談から。
批評ってなんとなくネガティブなイメージですが、これはとってもいい。
いいことの共有としての批評って、考えたことなかったです。
この「自信」については次に読む本にも絡むのですが、ずっと以前に遠藤周作がもう言ってたことなんだと驚きました。
そして、こういうはなしをしてくれる年長者が、周りからぐっと減っていることの残念さです。
先日読んだ「若作りうつ社会」の内容を思い出しました。
わたしたちは先達が普通に知っていることを、著作からでしかもう知ることができない。
図書館のフロアをぷらぷらした時目につきました。
こういう巡り合わせで手にする本は、たいてい当たり。
案の定、ページが付箋だらけです!
これすごいいい本なのに、絶版。
内容紹介
「愛とはピッタリ合わぬ男女が、それでも手を離さぬ努力である」
「情熱というのは安定すれば消えるもので、不安や苦悩があれば燃える」
「嫉妬というのは一種の熱病です。たとえば嫉妬にかられた人をごらんなさい。
その人にとってはすべてのものがその嫉妬の理由になるのです」
「女は自分が囁かれた愛の言葉や愛の思い出の分だけ、相手に執着する」──
慈愛に満ちたまなざしと鋭い人間観察力にあふれた狐狸庵先生・珠玉の箴言集。
つまり、遠藤周作の著作から、含蓄のあるフレーズを抜粋した書籍です。
タイトルがもうほんとに、そのまんまを表しています。
遠藤周作の作品って、キリスト教の関係か愛や神に関することが多いのですが、それが堪らなく温かいまなざしを感じさせます。
年老いた遠藤周作が、いたずらっぽい茶目っ気を含んだ笑みを浮かべて話している気がする。
わたしはこういった著作で、作者の視線があたたかいって感じたことがとんとありません。
わたしが年とって内面が変わったからなのかしら。
付箋だらけのページから、選りすぐりを抜粋します。
「私は愛とは「棄てないこと」だと思っています。
愛する対象が--人間であれ、ものであれ--どんなにみにくく、
気に入らなくなっても、これを棄てないこと、それが愛のはじまりなのです」
ものの場合だと、愛着ですね。
子供の頃大好きだったぬいぐるみを、汚れてもぼろぼろになっても棄てられない心の正体。
役に立たないから、年老いたから、醜くなったからと表面的な事象だけで次々新しいものに乗り換える世間への諫言かな。
類する言葉として他に、
男らしい行為とは、自分が選んだ伴侶がいかに色あせ醜くなっても、
なおこれを愛し続けることだとあります。
このようなひそかな男らしさを現代は次第に嘲笑するようになったとも。
わたしが特にハッとしたのは、これ。
「違った型の血液を送り込まれれば人間は死んでしまうように、「留学」という著作からです。
違った型の精神を注入されたものが砕かれぬはずはない。」
どういう文脈なのかはわかりませんが、わたしはこれを「相手を変えようとする傲慢さ」ととりました。
自分の考え(それが社会的に正当であろうとなかろうと)に相手を沿わせようとする行為の、強烈な反発。
いまの世の中は特に正義を声高に振りかざす人が多いのですが(幼稚なピュアさだと言われています)、相手がそれをどう感じるかという部分の想像力は欠落していて、なるほど幼稚と言われても仕方がないなと思います。
批評について淀川長治さんとの対談から。
「「おいしい」っていうことが批評じゃないでしょうか。
私はこんなにおいしく味わったから、あなたにもおいしいところを
味わわせてあげたい、ということが批評じゃないでしょうか」
批評ってなんとなくネガティブなイメージですが、これはとってもいい。
いいことの共有としての批評って、考えたことなかったです。
「人間の才能を伸ばしたければ、褒めろ。愛情セミナーという著作から。
(中略)叱ればその子は萎縮する、ひどいときはヤケクソになり、
俺はバカだと思い込む。
そのほうがもっとこわい。
自信を失った人間は成長しないからである」
この「自信」については次に読む本にも絡むのですが、ずっと以前に遠藤周作がもう言ってたことなんだと驚きました。
そして、こういうはなしをしてくれる年長者が、周りからぐっと減っていることの残念さです。
先日読んだ「若作りうつ社会」の内容を思い出しました。
わたしたちは先達が普通に知っていることを、著作からでしかもう知ることができない。