1月に掃除ブームについての日記を書いた、続き。
自分の引っ越し作業に合わせてまとめます。

ちょっと前までの掃除本は、テクニックや収納についてが主でしたが、最近の本は
「運気が上がる!」とか「●●すればハッピーになる」という
掃除、ものを捨てる、ものが少ない =善
とみなしている傾向です。
これはもう、スピにはまる人でもよくある「手段が目的になってる」状態です。

こんまりの掃除本でもそうですが、いわゆる足の踏み場もない「汚部屋(おべや)」、そしてそもそも掃除や整理整頓の仕方を知らない人で、現状をどうにかしたいと“自分”で思っている人なら取り組まれたらいいと思います。
友人に兄弟が多く自分の部屋を持ったことがない人がいて、結婚してみて整理や掃除の仕方が全然わからなかったと言っていました。
実家で親がぜんぶしてしまってたからで、こういう人はテクニックからはいっていいと思うのです。

でも、「TVでやってたから」「恋愛運が上がるから」「風水でこうゆってたから」「親に言われて」と“外”の人に言われて取りかかる人は、おそらくリバウンドするのでは。
そもそもこの掃除のリバウンドっていうのもこんまりネタで知ったため、
『日本人てほんまダイエットとかテクニック大好きやな~』
とその時は思ったのです。

だれだっていいことしたいです、褒められたいです。
掃除してきれいになった! すっきりした! =善
汚い、散らかってる(他人から見れば) =悪
なんとなく掃除ネタで盛り上がる人って、褒められたい評価されたい心理も強いんじゃないかな。
でも、ほんとにそれで心地良いのだろうか。

リバウンドする人は、心地好くなかったから元に戻ったのでしょう。
大事なのは周りに影響されるのではなく、自分の中で「捨てる基準、残す基準」に気がつくことだと思う。

昨年ナイトスクープに、お掃除大好き潔癖症でモノがすっかりなくなった男性から掃除したいという依頼、娘の部屋が汚部屋でどうにかしてほしいという母親からの依頼をドッキングさせた内容が流れました。
床も見えないぐらいのモノの量、ベッドの上にもものが積まれ、『どうやって寝てるんやろ』な娘の汚部屋、男性は目を輝かせて汗だくでどんどん処分していきます。
いちおう娘に「使う使わない」(いるいらないだと「いる」って回答しちゃうから)確認していましたが、娘泣いてたで。
すっきりした部屋をみて、埋もれていたソファーが出てきて喜んでいたけど、あの涙を見たわたしはその後が心配。

洗濯物たたむの大嫌い、すぐに着るのに人生で何時間畳むことに費やすのかと思うとうんざりする。
と、洗濯物を畳まずぽいぽいケースに放り込む収納にかえた人もいる。
いいじゃん。
ものだって、すぐに使わないもの、しょっちゅう使わないものの方が、生きていて多いんです。
いざ使いたいときに、ない! ってなることの方がストレスだっていう人もいます。

少ないもので暮らすというのも「善」とされていますが、外の基準ではなく自分の基準でやればいいと思う。
足の踏み場もないようならともかく、置いとける場所があるなら置いといたらいい。
死んだあとに遺品整理してくれるサービスもあるんだし、墓場まで持っていけばいい。

10歳のころから小遣い帳をつけていて、時々振り返り
『ああ、こんなものも買ってたなあ』とか『当時はまっていたのこれだったなあ』と思いますが、いまそれらは処分して手元にないことに全く後悔はないです。
自分で買ったものを自分で処分することに後悔はない。
なにを処分したのか覚えてないものは、そういうことです。

よく聞く「親に捨てられた」っていうのもありません。
でも、いっこだけ後悔しているものがあります。
わたしは病気から回復すると、無常観から発作的に物を処分したくなります。
震災のあとにこういう心理になった人多いと思う。
去年菊池病から回復したときもそうでした。

6歳の誕生日に親が買ってくれた図鑑セットがあり、これを処分したんです。
その時はリビングの書架を占める物量と今後も手に取ることがない、そして母がリビングの大きな書架を鬱陶しがっていたこと、さらにたまたま読んだブログで
「自分(親)は子供のものを捨てられないから、実家を出るときに捨てるか持ち出ししてもらった」
というのを読み、処分しようと思ったのです。

図鑑はわたしと弟が読みたくり、ケースもボロボロでした。
母は「図鑑、捨てるの?」って一言だけ。
「うん、もう見ないから捨てる」って言って、一旦箱詰めしたのですが、直前に箱から取り出して写真を撮っておきました。
図鑑01図鑑02
こんなことをしたこと、一度もなかったのです。
小学館の学習百科図鑑、いまはリニューアルしていますが、1980年当時一冊980円、最初は6冊セットで後に買い足したのも含めて結構高価です。
http://www.shogakukan.co.jp/books/series/_id_B40005

自分が買った【わたしだけのもの】は全然惜しくないけれど、これは【わたしだけのもの】じゃなかった。
“家族”のものだったと思う。
いずれ処分する日が必ず来るけれど、置けるのなら置いといたらよかったと、いまでもほんとに後悔しています。
自分で処分せず、親に任せておいたらよかった。

「それは手放す時期だった」「思い出は心の中に」
そんなお題目はいりません。
わたしの基準は、「自分だけのものを捨てる」です。

家を出るにあたっていくつかものを残していきますが、できれば処分しないで欲しいこと、そしてリビングにある家族のアルバムも置いててほしいと伝えることにします。
自分で撮影した写真のデータはプリントしてあるし、最悪の事態があってもここに残っているけど、子供の頃の写真は、どうにもならないから。

ものを捨てて後悔した人の掲示板やコメントを、ちょっと集めてみた。
これはわざとそういう意見を求めて検索したからであって、「後悔しなかった」という検索をすれば、そういうページもまた見つかる。

・昔捨ててしまって後悔しているもの
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0902/344259.htm?o=0
・断捨離をして後悔した、あなたの「後から思えば大切だったもの」とは?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1457389384
・こんまりさんに影響されお掃除していました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1277754237

なぜ後悔したのか、そこで自分を向き合って基準に気がつくことが、一番大事。
でないと同じことを繰り返しますます捨てることが出来なくなって、リバウンドに陥ると思います。