れにて今回の旅行記は終わりです。
帰ってきてから4/20より書き始めました。

今回初めて“ちゃんとした旅館”に泊まってみたのですが、両親にはホテルよりも、こういった細部にわたって心配りのきめ細かな宿の方がいいんだなとわかりました。
申し込みをした2月から振り返ると、いろんな事がありました。
震災後の世界は変わりましたが、観光地はそれに輪を掛けて別世界です。
わたしは行ってみてよかったです。

わたしがこうして旅行記を書くのは自分が感じた“よかったこと”を伝えたいのと、書くにあたって当時自分が感じたことを振り返る作業でもあります。
一人旅ならともかく、家族での旅行は現地でバタバタしがちで、後になってから旅行記を書いているときに気がついたことの方が多かったです。

その間、お友達とメールもしていましたが、わたしにとってこうしたアウトプット作業はとても大事なことなのだなと、今回気がつきました。
いつも『なにを書こうかな~』とEMエディタを起動し、写真データを整理しながら手が動くに任せて書き出します。
考えずに出てくることが、わたしの偽りのない感情なのでしょう。

大阪駅に帰り着いて真っ先に感じたこと。
『あれ、いままでなにを考えてたんやろ』
無職でもそれなりに考えていることはあったんですが、駅で感じたことはこれでした。
あれもこれも考える必要ないじゃん、という答えがあるだけやん。
それに気がついてから怒濤の展開でした。

3月末に会社を退職してから、
『10日しか経っていないのに、10年経ったように感じる。でも楽しくてしょうがない』
この現実感のなさの正体がなんだったのかがわかりました。
わたしは会社勤めの間でとても大切なことを忘れていたんです。
それがなんなのかはわからないままでした。ただ忘れてる。

忘れた“こと”の正体については探すことも特にせずに旅行に行き、帰ってきて旅行記を書いていたときに、他のいろんな事に気がついて、この忘れていた“こと”の内容も思い出したのです。

目の前で起こっている現象に理由をつけたり探したりする必要はもう無い。
他の人にいろいろ言われても、もう気にならないです。

わたしは旅行にいって、良いサービスを受けた施設にはアンケートやお礼状でどこがよかったかを残します。
そこではサービスとして普通にしていることでも、受ける側には驚くようなことってありますよね。
わたしは仕事をしていて自分が普通にできることで、たくさん感謝をされたことがあります。
だから、嬉しかったことは、そこでは普通のことであってもどんどん伝えたいのです。
そうしないと、数値化されない目に見えないことは失われていきます。

良いところはどんどん良くなってほしいし、わたしはサービスをよりよく育てるのは、提供する側だけでなく、サービスを受ける側との二人三脚だと信じているんです。
そのお陰で、どちらもハッピーになれるでしょう。
わたしたちはそういった“小さなお陰様”がたくさん重なって心地好い生活を送れています。

今回の旅行ではしんどいこともあり、もう家族で旅行はやめて今後は一人旅オンリーにするか、とも思いましたが、行ってみてよかったです。
いろんなタイミングで旅行前、旅行中、旅行後とよいことがたくさんありました。
全部すくい上げることができたのは、わたしだけでは無理でした。
周りのお友達にお礼申し上げます。
この日記読んでくれたお友達のみんな、ありがとうございました(^-^)
わたしが思い出したことは、ここには書かずにおきます。

帰ってきてからおなじみ長野県大阪観光情報センターに行ったところ、今年の新しいパンフ類が増えていました。
ずっと興味のあった森林セラピーのパンフをゲットしましたよ。
あと、夏の高原にも行ってみたいのです。
ハイジっぽく野原に転がるという野望を叶えたい。

--おわり--

このあとわたしは体調を崩し、夏に静養がてらまた長野に滞在します。
2011年8月長野戸狩温泉10日間滞在記