のあとで行き止まりになり、途方に暮れるわたし…
もしかして、お城入り口通りすぎてる!?
そうです、浮かれて写真撮りまくってたトンネルは実は橋(二の丸橋)で、あの橋を渡ると公園に入れるんでした。

ででーん。
城01
 やって来ました櫓門です。

東虎口櫓門は再建されたものですが、左にある南櫓、右にある北櫓は実物です。
といっても真田昌幸(幸村の父。籠城大好き家康大嫌い)が築城したものではなく、真田アレルギーの徳川家にぶっ壊された後、しばらく経って千石氏が再建したもの。

この再建も不完全で終わり、明治の廃藩置県で櫓は民間に払い下げられ、上田遊郭に再利用されてました。
すごい堅牢な遊郭だな。
それをまた移築復元して、現在の姿というわけです。
ていうことが、中の資料コーナーにつらつらと説明されています。
櫓の中に入れるなんて、幸せ…

櫓は「矢倉」とも書き、堀とセットで戦略的工夫がいっぱいありおもしろいのに、あまり公開してくれないんですよ。
本丸に比べ現存率高いと思うんですが。

櫓内資料館をじっくり見たあと、公園へ。
公園内はこれまた紅葉どころか緑全開。
『なんかあの木のあたり、明るいなあ』
と思って近づくと、そこは銀杏が絨毯になってました。
大きくてしっかりした木が多く、ちょっと風が吹くと銀杏やドングリがどかどか降ってきましたよ。
落ち葉でフカフカの地面って、すごく久しぶり。
なるほど、このフカフカなら銀杏踏んづけても臭くないんだ。
アスファルト敷き詰めるから、臭いんだわ。

公園の散策がすごく楽しかったんですが、日がみるみる沈みだしだんだん寒なってきたので慌てて博物館へ。
上田市立博物館はこぢんまりとした博物館ですが、収蔵物がすごかった。

秀吉の直筆書状とか!!
家康の直筆書状とか!!
本物の甲冑セットとか!!

あとすごいびっくりしたのが“弁丸”名の書状。
※弁丸は幸村の幼名
幼名の手紙って初めて見たわ。
真田家ってちっさな地方大名なんだけど、さすが地元、よく残ってる。
書状に書いてあることは、ごく一部だけ解読できました。
現代人には難しいねん。
こういう本がないとね…

公園を名残惜しく去り、上田高校の正門(三の丸の藩主屋敷門)を見て上田駅に戻ります。
この段階で午後5時、気温は16度。
朝到着時は15度で、気温のわりには空気が冷たく、ショートコートから出てる手先が冷え冷えでした。
城02
上田駅のライトアップ。
明るいからわかりにくいんですが、実は丸い照明でして、これもひっそり六文銭…

さてここから別所電鉄という二両編成の列車に乗って、宿に向かいます。
この電車は一時間に1~2本しかないから、時刻表とにらめっこして移動しました。

つづきます